【原作】ナウシカの漫画を読んだら映画を観れなくなった話。読了後の感想【ネタバレ注意】

ジブリのデビュー作である『風の谷のナウシカ』。

先日とある展覧会にいった際に、この作品がアニメージュという雑誌で連載されていた漫画が原作であることを知りました。(何となく知っていたけど連載の経緯までは知らなかった)

宮崎駿監督が映画作品を作る合間に企画され、描かれたものだそうです。漫画は1982年から連載されて、途中で映画製作や休止を挟んでおよそ12年の時を経て1994年に完結しました。

 

この全7巻の漫画、大判で「さぞ高いんだろう」と思っていたらなんと1冊あたり390円!(最終7巻だけ505円)

いまは中古で少し高くなっていますが、宮崎監督の絵柄やハッチング(線で影をつける手法)はイラストの勉強にもなるので「これは買うしかない!」と全巻揃えたのです。

ところが原作を読んでとんでもない衝撃を受けました。そして、もうあの映画観れないかも…と感じたのです。

ここからは原作をはじめて読んだファンの感想を率直に綴っています。後半にはラストのネタバレを含みますので閲覧にはご注意ください。

原作を読んだら映画を観られなくなった理由

1.ナウシカの印象が全然ちがう!

蟲を愛し、慈愛の心を持った美しい風の谷の姫君。

映画のナウシカといえば声優・島本 須美さんの優しい声が印象です。どことなく甘い声色は、アニメを観た男性たちを虜にしたといっても過言ではないでしょう。

しかし原作を数ページ読んで衝撃を受けました。漫画を読みながら想像するナウシカの声がだいぶ違うなと感じたのです。

漫画をめくりながら感じたのは、頭がよくてかっこよく、研究者肌も持ち合わせている芯の強い少女(女性)。慈愛はあるけれど決して愛を振りまく訳ではないし、もっと頑なで(こうと決めたら動かない)理知的な印象を持ちました。もちろん映画で見せるような母性はありますが。

そんなナウシカには、落ち着いた中性的な声があうだろうと頭の中でイメージしました。

やさしくて猛々しい風を持つ少女に、あの映画の声は甘すぎると思うのです(宮崎駿監督はあの声が理想だったのだろうか)

原作を読めば読むほど、映画の「ナウシカはこれじゃない…!」感が強くなっていきました。

また映画では性的な、ナウシカが女性として屈辱的なシーンが意図的に削除されていました。

漫画でナウシカの体は非常に魅力的に描かれており(胸が大きい設定)どの漫画にもありがちな女性へのいやらしい、差別的なシーンもちらほら見受けられるのです。

これに対して原作のナウシカは毅然と対応したり、完全スルーを貫いているのですが、映画は一般向けにマイルドになっています。

映画は物語の表層にしかすぎなかったんだ、と思います。原作はグロいし、難しいし、概念的な表現が多いのでかなり大人向けです。すごく面白いけれど、子供の頃に読まなくてよかったと思いました。多感な時期に読んだら闇落ちしそうです。

2.クシャナ殿下が好きになった

ナウシカ以上に映画と原作で大きく印象が変わったのが、トルメキアの第4皇女・クシャナ殿下です。

映画ではわかりやすく「敵」として描かれていますが、とんでもない!!原作を読めば読むほどクシャナ殿下の行動に納得しかありません。その裏にある信念も因果関係もきちんと理解できます。

ナウシカの原作の物語において、超常的な力を使わず、唯一人間としてわかりやすい信念に則った行動を貫いている人物といっても良いでしょう。

誰よりも部下を大切にし、部下に慕われています。まさに少女が苦しみの中で「王の器」にふさわしい大人になった姿です。

そして女性としての魅力も凄まじいです。クロトワ(参謀をしていた人)がクシャナ殿下をエロい目でみるシーンもありますが、敵対する王族に妻として望まれるほどの魅力とカリスマ性です。誰よりも理不尽と戦ってきた過去に、信頼に厚い人間性も伺わせます。

ナウシカの原作を読んだら、こういう人に王になって欲しい!と思うはず。そして「映画での印象悪すぎ!」と憤慨してしまいました。映画での描かれ方はあからさまに嫌な人にみえてちょっとなぁ、と思うのです。

3.映画にはナウシカの本質が何も描かれていない

 

原作を読んだ感想を一言でいいます。

 

「暗ッ!ジブリ暗いッ!」

 

宮崎駿監督の脳内が決して凡人の思考ではないことを実感しました。(当たり前ですが天才です)

なるほど、ジブリというアニメスタジオは奇才の発想を大衆に向けて一般化する装置だったのか。

 

映画は原作の2巻までいわゆる物語の序章です。

巨神兵ってなに?結局最後はどうなったの?

そんな物語の核を知るためには、原作を最後まで読まなければいけません。そして1回読んでも理解できません。

大きなテーマは『生命』。「風の谷のナウシカ」は、虚無と邪悪をあわせもった人間をみつめて『世界の謎を解く』物語です。

映画は原作の1〜2巻の部分が描かれていてナウシカの序章と言われていますが、7巻まで読んでもナウシカの物語は序章に過ぎないように感じました。

それくらい深くて、結論をだせない命題を扱っています。終わりもすっきりするかと言われれば「彼女の生き様はこれからだ…」的な感じです。

原作ラストまでのあらすじをざっくりネタバレすると…

 

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原作のあらすじと最後の展開

腐海に侵食された大地で、人々はわずかに残された居住可能な地に点在していた。(風の谷はトルメキアの属領)

風の谷の族長の娘・ナウシカは父には深く愛されていたが、母からは愛情を受けずに育つ。(ナウシカには先に死んだ10人の兄弟がいる)

腐海を忌避する人々の中で密かに自ら研究していたナウシカは、植物が毒を出すのは世界を浄化しているからだ、という世界の真実に気づきはじめていた。(ユパが追っている世界の謎)

そしてトルメキア戦役が勃発。トルメキア王国(ヴ王)と土鬼(ドルク)諸侯国連合(神聖皇帝)の戦争に、風の谷を含む辺境自治国はトルメキアからの出兵要請に応じて参戦を余儀なくされる。

ナウシカは腐海でのアスベルとの出会いを経て、トルメキア王国第4皇女・クシャナの軍に従軍する。

マニ族の僧正に"失われた大地との絆を結ぶ青き衣の伝説の人"と予言されたナウシカは、古い伝説を邪教とする土鬼の皇弟に命を狙われることになる。

酷い戦争の中で、ナウシカは蟲たちや前王権の生き残り・チククと出会い、より深く世界の真相に近づいていく。

ところが土鬼とトルメキアの戦線は壮絶を極め、土鬼は人工的に作り出した蟲を使って、トルメキア軍もろとも自国の大地を汚してしまう。

ついに大海嘯(蟲達によって世界の全てが飲み込まれること/火の七日間のあと3回あった)が起こることを確信したナウシカは、南へと向かう王蟲たちを見届けるため蟲たちの大軍を追いかける。

世界は滅びの道へと進み、ナウシカは"虚無"の中で蟲達が世界を浄化する理由を知り、王蟲と共に森の一部となって消えようとする。

心想世界の中で『森の人』(昔からの腐海の住人)と出会ったナウシカは、腐海によって浄化された何千年後の世界がとても美しくなるところを見せられる。

現実世界に戻ったナウシカは、ヒドラ(人造の化け物)や巨神兵を使って世界征服を企む土鬼の皇帝ナムリスと対峙。

土鬼の人々に憎しみよりも友愛を持つことを説き、生まれたばかりの巨神兵の母となった。

巨神兵を連れて土鬼の聖都・シュワの墓所に向かうナウシカは、その道中で、いまの人間たちが未来の浄化された世界では生きていけないことを知る。

そして「腐海」という世界浄化の仕組みは、かつて1000年前に滅びた巨大産業文明の人々が作った人造人間(神)によって人為的に生み出されたものだった。

墓所の主(人造の神)から世界再生のシナリオを知らされたナウシカだが、協力を拒み、汚れた大地にいまの愛する人々と共に生きてゆくことを決意する。

巨神兵によって1000年前の文明が残した墓所を破壊され、ナウシカは人造の神を闇へと返す。人の命は闇の中でまたたく光なのだ、と。

その後、ナウシカは土鬼の地にとどまり、土鬼の人々と共に生きる。

クシャナはトルメキアの代王となり、王を持たぬ国を作る礎となった。

後にナウシカは、チククの成人後に風の谷に戻ったとされているが、腐海と生きる『森の人』の元へ去ったとも伝えられている。(エピローグより)

ナウシカの元となった人:汚れた世界と清浄な乙女

漫画1巻の見返し(裏表紙の裏)に書かれていますが、ナウシカはギリシャの叙事詩オデュッセイアに登場するパイアキアの王女の名前です。

宮崎監督はバーナード・エヴスリンの『ギリシア神話小辞典』で彼女を知ってから、すっかり魅せられてしまったそう。

自然とたわむれることを喜ぶ優れた感受性を持ち、俊足で空想的な美しい少女。

漂着した血まみれのオデュッセウスを助け、即興の歌で彼の心を癒し、終生結婚せず、求婚者や世俗的な幸福よりも竪琴と歌、自然を愛したとされています。

ナウシカの元になったのはこのオデュッセイアと、今昔物語の「虫愛づる姫君」だと綴られています。

この「虫愛づる姫君」も社会の慣習に縛られず、平安人に期待される振る舞いを破って自分の感性のままに自然と生きる女性。

元になった神話が将来独身を貫いたので、ナウシカもおそらく生涯人と森に尽くしたのかもしれません。けれど「森の人」と精神的に結ばれた可能性もあるかなぁと思います。

即物的な愛ではなく、精神的な繋がりで持って結びつく感覚はいまの現代人に響くのではないでしょうか。特に社会の束縛に縛られず、自分を貫く姿は多くの現代人の道しるべとなるような気がします。

ナウシカ達がこれから闇を孕んだ人間と向き合っていかないといけない現実に変わりはありません。

これは深刻化している環境破壊への警鐘であり、現代の過去でも未来でもある物語なのです。

さいごに

ナウシカの原作を読んでいると、「あれ、これもしかして…」というシーンや台詞がたくさんあります。

ふと思いついただけでも、「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「風立ちぬ」を彷彿とさせました。

最後の方(7巻)のナウシカの強い表情は「もののけ姫」のサンにしか見えなかったです。

『風の谷のナウシカ』原作のあらゆるエッセンスがその後のジブリ映画に散りばめられています。

そう考えると、本当に宮崎駿監督の根幹にある物語なのだなと感じました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました!