観る人を、感動と混乱の渦に巻き込んだ映画『海獣の子供』。
原作を読んだときも、すぐにはうまく理解できなかった作品の一つでもあります。
幻想ファンタジー、冒険もの、青春、ヒューマンドラマ、科学サスペンス、家族ドラマ…どのジャンルとも一概には括れません。
今回は、原作・映画ともに触れたこの作品の考察・解釈をご紹介します。
※映画・原作コミックのネタバレを含みますので、未読・未視聴の方はご注意ください
もしはじめて映画から観るなら、
「星の、星々の。海は、産み親。」
海は、星の、親。
これがすべてだと思います。
頭の片隅に置いて観ると、後半の怒涛の展開がなんとなくわかるかも!#海獣の子供 #映画
— ポン太@あらいぐま書店 (@ponta_o1) 2019年6月12日
本作のあらすじ
気持ちをうまく言葉にできず、周りの人間と衝突してしまう少女・琉花。
部活でトラブルを起こしてしまった夏休みに、ジュゴンに育てられたという少年・海と空に出会う。
琉花が幼い頃にみた光って消える「海の幽霊」、大きな流れ星と不思議な少年たち。
それぞれの想いが絡み合う物語は、海洋の異変もともに加速していくー
『海獣の子供』の物語を意訳してみた
主人公以外の目線からみた、これは「こんな物語だったのではないか」という意訳を妄想満載で綴っています。
※わかりやすくするため、キャラクター名を「海」「空」と表記しています。
さらに細かく解釈してみた
このお話は「宇宙・生命の誕生の物語」だと感じています。
宇宙の90%以上は暗黒物質、ほとんど解明されていない世界です。
宇宙が大きな人間のようなもの=(原作でいう)原人 だとすれば、地球の海は子宮の一つであり、人間は細胞よりも小さい存在に過ぎません。
光って消える海の幽霊は、これから生まれてくる星々。
隕石は、神様が子宮に落とした一滴の精液。
海獣の子供たちは生命の起点となるカケラであって、乳房=人間たちから栄養を集めるものであったのか、その営みをただ見つめていたのか。
この『海獣の子供』の存在が一番解釈の難しいところではないかと思います。
身体構造的には人間だけれど、生命の起点となった「海」も、光となって消えていった(他の生物に食べられた)「空」も、人間からみれば人間とはちがうものになるのかもしれません。
原作では黄体・白体に例えられる死体が浜に打ち上げられる描写があるのですが、これは子宮の中で起こることをなぞられえているのではないかと。
受精しなかった子宮からはがれ落ちて消えていく生命の一部。それが『怪獣の子供』たちであった可能性もあります。
最後まで明確には明かされなかった彼らの正体が、宇宙・生命の神秘の象徴のようでした。
人間だけが「死」をもつ生き物だということ
普通の生物たちは死ぬことをなんとも思いません。
なぜなら宇宙の一部であり、いわゆる輪廻の中にあるものだからです。
そもそも人間は生まれてから死ぬまでの間だけ生きていると思っていますが、生まれた瞬間から「死」に向かっていると感じているのは人間だけ。
光って消えていく海の幽霊は「死んでいる」とも言えるし、むしろ「生まれている瞬間だ」とも言えます。
最後に琉花が、母親のお産に立ち会って生まれてきた子のへその緒を切ったとき、「命を断つ感触がした」という描写があります。
これは、海(羊水)の中にいたものから波打ち際(陸)へと打ち上げられた、死への時間へと切り離された人間という細胞の一つの誕生を表しているのではないかと。
水の中の生物にとって、陸の世界の生物は死んでいるようなもの。
それに対して陸からみれば、海の中では生きられない。
「空」は人と関わる中で緩やかに死へと向かい、「海」は人と関わる中で生命の起源となった対照的な姿だったと思います。
なぜ琉花が「生命の誕生祭」をみることができたか
原作では、琉花の母親の背景がより深く描かれています。
元々、琉花の母親は「海女(あま)」の家系で、琉花と同様に海と深く繋がることができる人間でした。
幼い頃から海の幽霊を見ていた彼女は、その海との繋がりやすさもあって、いわゆる強い「感受性」、人間の言葉以外の感情を受け取ることができたのです。
本作で端々に登場したキーワードは「大切なことは言葉にならない」ということ。
限られた言葉では、この世界の1%も、何も伝えることができません。
人間がすべての生き物の頂点のように振舞っていても、世界にはそれを凌駕する事象がたくさんあります。
鯨たちはその音波で、感じたことをそのままに伝えることができているのかもしれない。
言語化できる人間の世界はひどく狭く、言葉を超越した何かがあるとわかっても、人間には永遠にそれを証明することができないのです。
『海獣の子供』は、言語では表現できない外側の世界を描いた作品だと思います。
あとがき・感想
この作品を読んで、たくさんのことを感じました。
一つ一つの言葉が胸に刺さり、理解しようとすればするほどこんがらがったり、泣きそうになるほど怖くなったり。
考えれば考えるほど頭がパンクしそうで、とても拙い文章になってしまいました…。
作者が描いている中で感じていた1%も、感じ取れていないかもしれない。
けれど読み手が感じることは、作者の想像もつかない心情かもしれない。
この作品にたぶん答えはありません。『読み手が感じたことがすべて』の作品ではないでしょうか。
時間をあけて考えれば、また違った考察がでてきそうです。
この解釈が絶対、というものではないのだと、それもこの作品のメッセージの一つなのだとだと感じています。
ちなみに筆者はこちらの方の解釈が大好きです。琉花と空・海が"男女の役の逆転"にハッとさせられました。
物語を感じるきっかけとして、参考になれば幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。